「早急に魔術書を売りたい」という連絡を受けて、繁華街の一角にやって来たらーー
帽子とサングラスとマスクで人相を隠した初老の男が、いぶかしげに訊いてきた。
「お嬢ちゃんが古本屋?」
「の、娘です」
 こういう反応に、長い黒髪の少女ーーアレイ=ホシノは慣れている。
「どうしてもご不満でしたら、後日、あらためて店主を向かわせますが」
「いい、時間がねえ。〈古本黒瓜堂〉の評判を信じよう」
 男はサングラスとマスクを取った。
顔には目も鼻も口もなかった。洞窟のような暗黒が広がっているだけだ。
「お客さま自身が、魔術書なのですか」
「そうだよ。手、入れてみ。頭に直接、内容が入ってくるから」
「…………」
「食われやしねえって。ほれ、早く査定しろ」
 急かす男の声が、どこから出ているのかはわからない。
 ひとつ深呼吸をしてから、アレイは男の顔に手を差し入れた。
腕は肘まですっぽりと入った。
「ーーなるほど」
 腕を抜いたアレイの顔は、興奮で赤く色づいていた。
「この内容でしたら、百億円は下らないと思います。
ただ、当店でその金額は用意できません。買い主を探すお手伝いはできますけど」
「それでいいよ。手数料は一億でいいか」
「一桁足りません」
「おい、右から左へ俺を動かすだけで、欲を掻くんじゃねえよ」
「お客さまの保護は大変な危険を伴います。
この瞬間も、世界中の諜報機関、研究機関、宗教団体ーー
あらゆる組織から狙われているのではありませんか」
「逆に訊くけど、ただの古本屋が、俺を保護できんの」
「仕事ですから」
 アレイは男をじっと見つめた。
「……若いのに、なんちゅう目をしていやがる」
 男の声には畏怖の響きがあった。
顔の暗黒を小物類でふたたび隠して、男は決然と言った。
「わかった、あんたに任そう。俺が売れたら十億円やる。いい買い手を探してくれ。
俺は本だからよ、やっぱり本好きにもらわれてえのさ」
「わかります。かしこまりました。最大限、努力いたします」
 アレイは男を伴って、無事に〈古本黒瓜堂〉へ帰るための危険な一歩を踏み出した。





秋永真琴

小説を書いています。「眠り王子と幻書の乙女」「怪物館の管理人」など。
この掌篇は「行き先は特異点 年刊日本SF傑作選」に収録された「古本屋の少女」の姉妹篇です。よかったら併せてお楽しみください。