オッサンなるものに関する一考察   和泉真弓


少しばかり気働きが利かない脳の調子である時。あるいは酩酊のために抑制の扉が閉じ切らない時。誰しもおぼえのある僅かな隙間から、気づけばのそりと姿をあらわす。
まことに油断できぬ存在が、オッサンである。

所謂中高年男性の名誉のために強調すると、別にオバサンでもイケメンでも名称はなんでもよい。しかし本稿を進めるにあたり、規定する性質に何かしら命名をする必要が生じたため、ここではオッサンという名称に統一して仮託させていただく。中高年男性への揶揄や誹謗中傷の意図は1ミリたりともないことを、予めお断りしておきたい。

オッサンなるものの特徴及び若干の考察を以下に記す。

オッサンなるものは脊髄反射する。デブブス年増オッパイデカイ、イケメンだのお盛んだのと易刺激的に口に出す。押せば出ただけのトコロテンで悪気はない。そもそも大脳を通っていない。そのような残念な状態にもかかわらず、悪気がないイコール許されると思いこんでいるふしがある。
オッサンなるものは他者からの拒否に弱い。あってもなかったことになっている。対照的に、他者に受けると天にも上る。図と地の関係である。粗相も笑って許してくれる環境であることに居場所があると感じ、時に脊髄反射の赴くまま失礼をし親密さや優位性を確認する。甘えという無形の概念が許されるかどうかは、オッサンなるものにとりいわば心臓部といえる至上命題である。自らがその集団にコミットできているかを、甘えが許されるかどうかで確認することは、惑星で酸素濃度を測るかごとくの死活問題なのである。
オッサンなるものは聴衆を必要とする。へえほうと感心し敬われるのが堪らなく好物である。これは中毒性が高く、また他者を巻き込まないと成立しないため、厄介である。よい社会人でありたい若者が標的になりやすい。
 オッサンなるものは音韻につられる。「電話にでんわ」などとつい言ってしまうのは、脊髄反射性と大いに関連するところだ。そこに皆に受けたいなどというベクトルが加わると、上記のような表現形をとらざるを得ないものと推察する。脊髄反射を他者のために使うことを、集団を潤滑させるためのサービスであり涙ぐましい努力と本気で思っているところが、周囲との温度差の原因であり、報われない所以である。
オッサンなるものはひとりでいられない。他者からの反応がなければ存在価値を感じにくい。例えばひとりで店で飲んでいても店員に話しかける、インスタグラムやフェイスブックに写真をアップしいいねの数を何度も確認する、などの表現形が報告されている。オッサンなるものと他者存在は、陰陽の如く、分かち難く結びついているのである。

 オッサンを長いこと閉じ込めておくと鉄扉がくたびれて鍵が甘くなり、期待されない状況下で不用意に出てきてしまう事例がいくつか報告されている。
 そのため、このたび以下のような実験を行った。
 時間を決めて、安全な状況下でオッサンを解放した。毎日決まった時間に、極力他者を巻き込まない形で鉄扉を開け、決まった時間に閉めたのである。
 実験は失敗に終わった。
何度か与えられた僅かばかりの自由時間の中で他者からの承認を得られなかったオッサンは、鉄扉の向こうに帰らなかったのだ。

【問題】
この場合の最適解は、どれであるか。以下の選択肢から選べ。
1. オッサンをなだめてともに生きる
2. 自分自身がオッサンの太鼓持ちになる
3. ペットを飼う
4. 大脳を使う
5. その他(自由記述)





和泉真弓
臨床心理業に携わっています。
「カクヨム」で小説を書いています。
https://kakuyomu.jp/users/izumimayumi

いかようにも示唆が広がりそうな格好いいスミダさんの写真から、なぜだか内なるオッサン性を顧みることとなりました。