今をひきいて   若原光彦


 なぜ私がここにいるのか、私は知らない。
 なぜ私がそちらを向いているのかも、私は知らない。つまり、なぜ私にこの風景が見えているのか、私は知らない。
 いちおう記憶を、さかのぼれなくはない。朦朧としているけれども。たとえば昨日は、今日とほとんど同じだった。その前は、やはり同じだったと思う。さらに前となると、もう何も思えない。しかし私がここへ来てから一度、雨が降ったことがあったはずだ。それは憶えている。と思う。
 雨。水。それは私にとって嬉しいものだったはずだ。叩きつけられる水滴で、体の細い部分がヒヤリとする。折れるのではないかと笑う。でもきっと、折れても大丈夫だ。体の先っぽ幾つかなら、失ったって構わない。むしろ傷んだ部分は、適度に失われたほうがいいかもしれない。折れそうに弱いのなら、むしろ折れよう。
 でもそれもこれも、私に根があってはじめて言えることだ。私が受けた雨は、私の全身をつたい、すべって、下り、地にしみこんでゆく。私が吸い込む地の気へと変わっていく。雨の気配を感じると、私の全身は活発になる。右の私とか左の私とか上の私とか下の私とかがいっせいに、血肉に飢えて暴れ出す。私はそれを叱ることもあるけれども、一緒になって小躍りすることもある。
 いいや。あった、だ。もうない。今の私に根はない。陽光を感じる力も、虫を誘う力も、もう残っていない。それを悲しむべきかどうかを考える力もない。何者かが何かのために私を摘み取り、運んで、ここへ置いた。それを喜ぶべきかどうかも、私は知らない。だからこうして、私はここで、死体をしている。
 私に見えている風景の意味を、私は知らない。つまり私が、なぜここへ置かれているのか、私とこの場所にどんな関係があるのか、私は知らない。
 何か、建物が見えてはいる。しかし私には、それが誰のどんな施設なのか、考えることができない。鳥や虫なら、巣を作るのによさそうだと思うかもしれない。人間なら、何かを運び込むのにまずまずだと思うかもしれない。私にはわからない。私には羽根も手足も持ち物もない。
 かつては、あった。と思う。私は学校へ行こうとしていた気がする。朝、寝坊をしてしまって、電車に乗り遅れそうで、焦っていたと思う。今日の説明会はとても重要で、これをしくじったら社にとって大きな損失となる。来年の結婚のためにも。絶対にスーパーに寄らないと。今夜は湯豆腐にしよう。豊作も不作も不安だが娘の仕送りに助けられている。私はけしてそんなつもりで子供を育てたわけではないのに。電動アシストつき自転車にしたいな。九九は、歌だな。不思議だ。四段変速ギアに憧れていたのに。よそ見してる暇はない。一分でも十円でも血が惜しい。ドライブレコーダー搭載ってだけじゃあね。急ごう。道を、渡らねばならない。道を渡るためには、道を横切らねばならない。道を横切るには、死を覚悟せねばならない。急ごう。人生は死体になる。なった。
 私は狂っている。狂っているが、狂った死体なんてものはありえない。では私は死んでいないのか。狂っている。まだ死んでいないと言い出す死体なんてものは狂っている。狂っている。私は狂っている。ぼやけている。朦朧としている。ぐらぐら揺れる。
 目の前の建物から、人間がひとり現れた。何をするでもなく突っ立ち、何かを眺めている。何が見えるのだろう。どうでもいい。私には関係ない。私にはもう何も関係がない。けれども、私とその人間とのあいだが湿って霞んだ。揺れが激しくなった。通り雨だろう。嬉しいはずなのに、もう嬉しくない。
 私の目の前を、また別の人間が駆け抜けていった。急ぐのだろう。突っ立っていた人間が急に身を乗り出し「ご安全に!!」と怒鳴った。私になぜそれが聞こえたのか。本当に聞こえたのか。私は知らない。私は可笑しい。
 それからまた別の人間が現れ、腕を伸ばして私を手折った。なんだ私は、まだ摘まれていなかったのか。まだ死んでいなかったのか。それはいいのだけれど、やっと死体になったせいか、急に何も見えなくなってしまった。体の重さもよくわからない。これほど軽いのなら、むしろ飛べよう。





若原光彦
もと詩人。岐阜県在住。1979年生まれ。

パターン認識の功罪、みたいなことを思いました。
というか、そんな自分を感じて、途方にくれました。
で、どうするのさ、諦めようか、とも思ったのですが、
ふとこういうものができました。
あ、書いた人は現有です。読んだ人もなにとぞ。ねんのため。
あああと関係ないですが、寝る! は、
ねんねこになる! て言い換えるとちょっとかわいい。にゃ。
と今ふと思いました。ムアイクは幸運を祈る。